教義・教典をもたない神道

神道の特徴のひとつとして、三大宗教(キリスト教・イスラーム・仏教)にみえるような統一的な教義や教典(経典)をもっていないことが指摘されています。教義とはその宗教の教えで、教典はその教えを記した書物のことです。
教典として有名なものには、キリスト教の『旧約聖書』・『新約聖書』やイスラームの『クルアーン(コーラン)』、仏教においては『大般若波羅蜜多経』などの経典があげられます。これらの宗教はいずれも明確な創始者(教祖)がおり、その創始者の唱える教えのもとに広まった「創唱宗教」です。創唱宗教は教団を組織し、教典を使って民族や国境を越えて教祖の教えを布教するため、「伝道宗教」ともよばれます。おおむね、信者には教義に基づいた「戒律(信仰生活において守るべき規則)」が課せられ、個人的な信教によって自らの安心立命を得るという特徴があります。また、信者は教義や戒律を厳格に守っているため、信者同士の結び付きや教団としての団結力が強くなる傾向にあります。。
一方、「民族宗教」に分類される神道は、日本人の日常生活のなかで自然に生まれ育ってきた共同信仰ですから、創始者のような特定の個人は存在しません。そのため、創始者によって明確に定められた教義や教典がないのです。しかし、神道の教えや理念が記された書物が全く無い、というわけではありません。いわゆる「神典」と総称される、神道について記された古典が多く伝えられています。代表的なものに、『古事記』・『日本書紀』・『古語拾遺』・『万葉集』などがあります。これらは主に、わが国の成り立ちやその歴史を記録するため、あるいは文学の作品などとして作られたもので、神道の教えを説くために著述されたものではありませんが、神話や祭祀について詳しく述べられており、神道の基本的な考え方を知るための貴重な手がかりとなっています。
また、創唱宗教の「戒律」に対して、神道にも神祭りの信仰のなかで自然と出来てきた、「しきたり」や「掟」があります。これらは主に、神社のお祭りなどの約束事としてみられますが、神職が祭儀の際に行う潔斎(心身を清めること)や特殊な事例を除けば、氏子崇敬者に求められる「しきたり」の順守は、創唱宗教における「戒律」を守る義務に比べるとはるかに緩やかであるといえるでしょう。そのため、明確な教義をもつ宗教教団のような強い団結心は生まれにくいですが、自らとは異なる価値観に対して、比較的寛容であるという長所があります。このように比較すると、両者の特性には大きな差異があることがわかります。もちろんどちらが優れている、劣っているということはありません。どちらの宗教にも、秀でた点があるということです。