一神教と多神教

宗教学では、神道は多神教のひとつとされています。一方、世界三大宗教といわれるキリスト教・イスラーム・仏教をみると、キリスト教とイスラームは神さまが一神のみの一神教、仏教(開祖である釈迦の時代に説かれていた原始仏教)は神さまを持たない無神的宗教に分類されます(仏教については流派や地域によってその性格が大きく異なります)。ここからは一神教と多神教の比較によって、神道について考えてみましょう。
まず、一神教の神さまの属性をみると、その存在は唯一絶対で全知全能、宇宙の創造者として位置づけられています。一神教の神さまは、あらゆる面で人間とは隔絶したところにおられる超越神であり、個々の人間の心の中まで理解されます。すべての能力を備えた、完全無欠の一人の神さまというイメージでしょうか。次に多神教の神さまの属性としては、特定の一神に絶対性があるわけではなく、それぞれの神さまが特定の分野に関する能力をお持ちになっていることがあげられます。たとえば、火の神さまや水の神さま、風の神さまといった具合です。また、これらの神々の中でも最高神としての神格をもつ神さまがいらっしゃいますが、この場合も一神教の神さまのような唯一無二の絶対神ではありません。
一神教の神さまは何もないところから人間や自然はもちろん、宇宙をもつくってしまう存在ですが、多神教の神さまの世界ではすでに宇宙は初めからあって、宇宙の内にいらっしゃる神々という位置づけになります。そのため、非妥協性の高い一神教の神さまに比べると、多神教の神さまはわれわれ人間との距離も近く、全般的に寛容性が高いという特徴をもっています。神道において、それぞれ個性をお持ちの神々がお互いを認めて共存され、ともに栄えることを理想とすることからもあきらかでしょう。このように、一神教の神さまと多神教の神さまでは、その性格が大きく異なっているのです。
ここでひとつ、困った問題があります。我が国では明治期以降、キリスト教の唯一絶対神の「God」が神道の神さまと同じ「神」と翻訳され、神道の神さまも「God」と英訳されてきました。そのため、本来は大きく違う神道の「カミ(神)」の概念とキリスト教の「God」の概念が、混同されやすくなっています。これらの混乱を避けるため、神道の神さまを英訳する場合などには、「God」ではなく「Kami」として説明のセンテンスをつけるなどの工夫(kami:~)が行われてはいますが、さらに理解を深めるためには「God」の訳語として適切な日本語を、もう一度考えてもよいのではないかと思います。